忠臣蔵の蔵

今日は12月14日。赤穂浪士討ち入りのあった日だそうです。

説明する必要もありませんが、1702(元禄15)年に実際にあった大石内蔵助以下赤穂浪士四十七人が主君浅野内匠頭の無念を晴らすため吉良上野介邸に討ち入り、見事仇討ちを成し遂げ後に全員切腹を命じられるというお話です。

非常にザックリと内容を書くとこういうことですが、漢字ばかりで読みにくくなりますね。

この討ち入りは当時でもかなり話題になったらしく、それを題材とした歌舞伎や浄瑠璃などが次々と上演され、その集大成が1748(寛延元)年8月に人形浄瑠璃で上演され、同じ年に歌舞伎の演目としても取り上げられ大人気となった『仮名手本忠臣蔵』です。

当時は江戸幕府の禁止令によって実名を出すことが出来ず、例えば「大石内蔵助」は「大星由良之助」などと仮名で演じられていたそうで、この仮名が「仮名手本」の由来という説もあるといいます。ほかにも赤穂四十七士をいろは四十七文字に置き換えたなどの諸説もありますが、実際のところは定かではないようです。

由来と言えばそもそもこの『忠臣蔵』というタイトルもどういうことだかわかりませんね。

『忠臣』は分かりますが「蔵」って…?

これにもいくつか説があるようで、「たくさんの家臣がいることを詰まった”蔵”に例えた」という説や、吉良上野介が蔵の中で発見されたという説もありますが、最も有力なのが大石内蔵助の”蔵”だという説のようです。

幕府から禁止令が出ていたので実名は出せないけど暗黙の了解的なノリで蔵之介の一字を取ったということですかね。

質問サイト(教えて!goo)で誰かが書いていた

>「忠臣蔵」が赤穂事件を基にしているのは明らかですが、
そのままでは上演許可は出ないので、現実の事件と関係ないというタテマエにしてあります。
歌舞伎の「忠臣蔵」の主人公は大星由良之助であり、大石内蔵助ではありません。

検閲がなければ、題名は「忠臣大石内蔵助」となっていたことでしょう。
しかしそれはできないので、一字だけ取って「忠臣蔵」としたのでしょう。
役人が「この『蔵』はなんだ。大石内蔵助のことじゃないのか」
と言ってきたら、
「いえいえ、蔵のように多くの忠臣がいるという意味ですよ」
と返すわけです。
役人の方でも、そこで「なるほど」と納得したふりをする…という呼吸だったと思います。

というこの話がなんだか粋で好きです。

そういえば少し前に忠臣蔵ハリウッド版みたいなのが話題になりましたね。

いや、観てはいないので特に何の意見も文句も無いですが。

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